それからまた、一夜も二夜も明けてから。

 検診に来た医者や看護師相手にも冗談が言えるほど回復した高山に、退院の許可が降りた。

 今は、彩と共に退院の準備をしている。伊藤は梓を実家へ連れて行く為、藤井と森下は二人の邪魔をするまいと妙な気遣いを見せて。

 その手を進める彩は、太陽も敵わぬほどの笑顔を見せていた。バッグに汚れ物のシャツやパジャマを詰め込むという単純作業でさえ、まるで舞っているようにも見える。

 その横で同じく退院準備を進める高山の表情はいつになく重く、暗かった。

 ここにお気に入りの看護師がいて、退院すればお別れになってしまうのが寂しくて?

 まだ実は傷が治りきっていない?

 満面の笑みで手を進める彩に思いっきり引いてしまった?

 いずれも違う。

 今まさに高山は、大事な話を切り出さんとしているのだから。

「彩」

「なあにぃ?」

 未使用のパジャマを入れようとしているその手を、高山はガッと掴んで止める。

「ちょっとゴメンな。話があるから聞いてくれ」

 作業を止めて、聞きざるを得なかった。見つめた顔は、怖いほど眉間に皺が寄っていて。

 彩は体を返し、聞く体勢に入る。

「実は……その……。

 俺の親父は、お袋に暴力を振るうことがあった。気に入らないことがあると。

 それで、俺は、その……そんな親父とも血い繋がってるやん? だから、その……。

 せやけど彩、俺は違うって。お前には暴力は振ったりせえへんって、何故か言い切ることがでけへんねん。

 それでも……」

 その時、不意に手に暖かさを感じた。

 視線を落とせば、自分の手は繋がれていた。小さな、彩の手と。

 訳も分からぬまま視線を戻せば、笑顔があった。

「これが、私の答えです。

 私のお母さんが言ってたんです。『私はお父さんの優しい性格も太った体格も、長所も短所も好きになったの。全部揃っててお父さんなの。全部好きになったからお父さんと結婚したの』って。

 お母さんは本当にお父さんのことが好きなんだなって。

 それから私、ずっとそんな関係に憧れていたんです。全部好きって言える人との出会いに」

 更にもう一つ、笑顔が増えた。

「高山さん。私は、あなたが好きです。明るくて優しい性格も女の子が好きなところも。全部揃ってて高山さんなんです」

 そこから先は、言わなかった。この手が、代わりに言ってくれたような気がしたから。

 この先ずっと、手は繋がれたまま離れることは無いだろう。否、たとえ誰の邪魔が入ろうとも離すことなどできないだろう。

 少女も彼も、笑顔で見つめ合ったまま、黙った。